霞城公園(山形城二の丸跡)
山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城しました。そして最上氏11代当主義光の代に57万石の大名となり、山形は実質100万石の城下町として繁栄しました。
義光の孫・家信の代に最上氏は改易され、その跡に鳥居忠政(24万石)が入部しました。忠政は山形城の本丸・二の丸を改築しました。したがって現在の二の丸跡は、鳥居氏時代の遺構であるといえます。
鳥居氏の後、城主は11氏が頻繁に交替し、最後の城主水野氏は、僅か5万石で明治維新を迎えました。
現在は、二の丸塁濠のみを残していますが、昭和24年に霞城公園として一般に開放されました。現在は公園二の丸跡と三の丸跡の一部が、国の史跡に指定されています。
二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして平成3年3月完成しました。山形市の観光名所の一つとなっています。
東大手門
最上義光
霞城公園内にある、最上義光の像です。最上家11代当主です。
NHKの大河ドラマ「独眼流正宗」では敵役でした。
確かに現在も義光の評価につてはいろいろ議論が分かれるようです。
済生館
霞城公園内には旧済生館本館があります。明治9年に山形県令三島通庸の病院新築の大構想のもとに、建築計画に着手され、明治11年2月工事着工、同9月に落成しました。
明治初期の木造下見張りの本格的西洋建築の最高傑作といわれています。昭和41年に重要文化財に指定、昭和44年に霞城公園内に移築され、現在、山形市郷土館となっています。
ただ、私が子供のころ見た移築される前の済生館は色がもう少し薄緑色ぽかったような気がします。
山形市営球場
霞城公園内にある山形市営球場です。
中山町の県営球場ができる前はここが山形の野球のメッカでした。
高校時代何度か応援に来ています。
スタンドで見る野球はテレビで見る野球とは相当趣が違います。テレビは通常はバッテリー中心にしか映りませんが、球場では内野、外野すべてが見渡せて全体の動きがわかります。キャッチャーが必ずファーストのカバーにはいることも初めてわかりました。
ところで、夏のスタンドはかなり暑かったことを記憶しています。選手はもっと暑かったみたいです。

霞城セントラル
霞城公園の南、駅の西隣に多目的ビル「霞城セントラク」が平成13年1月にオープンしました。
先日、最上階のレストランで食事をしようと思ってでかけたらどこも大入り満員で、結局景色だけを見て帰ってきました。

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山形新幹線
霞城公園のお掘りの中を山形新幹線が通っています。
手前のレールは在来線で、大分幅が狭いことがわかると思います。
お城の掘を通っている新幹線というのもめずらしいのではないかと思います。地元の人は別になんとも思いませんが、初めて通った人はちょっと驚くかもしれません。

石垣工事
霞城公園内で石垣の復元工事をしていました。
今はクレーンなどの機械がありますが、昔はもちろんすべて人力でやったわけで、その労力は計り知れないものがあったろうと思います。
山形美術館
霞城公園に隣接して「山形美術館」があります。

展示物は
日本画、洋画、工芸、彫刻、写真 です。

場所 山形市大手町1-63
電話 023-622-3090
交通 山形駅から徒歩10分
時間 10:00〜17:00
定休 月曜-祝日の場合翌日・年末年始、展示替えの臨時休館
その他 入館料
一般 500円
大・高 300円
小・中 100円
催事特別展の場合別料金
駐車場 181台
駐車場の有無 あり
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